この本を読もうと思ったのは・・・

読んだ本の感想です。

保坂和志『ハレルヤ』新潮社

 「与えられた一つのものだけが必然なのではない、出来事は多くの可能性の一つとして偶然である、出来事は全体の一部、立体の一部なのだ。」(「こことよそ」p.115)

 この本を読みながら私は現在と過去の往還のようなことを考えさせられていました。

 表題作「ハレルヤ」に飼い猫の泣き声の意味が変化していった過程を振り返っている箇所があります。そこに表明されている時間観は過去があって現在があるという因果的な線のようなものではありませんでした。

 「過去の出来事は現在の私の心、というより態度によってそのつど意味、というのでなく様相、発色が変わる。」(「ハレルヤ」p.18)

 「未来を考えた途端に未来は生まれるが、それは姿を変えた現在と過去でしかない。」(「ハレルヤ」p.19)

 今現在の自分によって過去の姿が変わる、というのは読書についてもいえるかもしれない。「ハレルヤ」に書かれているのは飼い猫との別れまでの諸々とその過程において著者が感じ考えたことです。そのメインであるだろう猫との関係に私はあまり関心がないようで正直に言って後ろめたさを感じます。ずっと後になって再読したなら、今はそれほど注意が向かなかった箇所が気になるのかもしれません。

 「三十八年後に読む自分が最も反応する箇所に当時の自分がまったく反応しないことがあるだろうか。」(「こことよそ」p.84)

 こんな風に考えてしまうのは、著者の言うように本を読めていないからであって、後ろめたさが増していきます。

 「これをどういう風に感想文にすればいいか?を考えず、ただ読めばいい。」(「あとがき」p.171)